はじめに
本記事では、比較文化学の超初級者のための文献紹介していく。毎年、私に寄せられる学生の相談に「大学などで比較文化を学びたいけど、どの本から手に取って良いか分からない」というのがある。しかし、比較文化の出発点は、実に素朴でシンプルなのだ。
この記事は、私自身のゼミで学生から相談を受けた経験や、自分の読書体験を軸に語っているため、「比較文化文献の総覧」を目指してはいない。文献総覧を知りたい方は、『比較文化のすすめ―日本のアイデンティティを探る必読55冊』(成文堂,2012)等の手引書をお勧めする。
この記事の読者には、比較文化を学び実践したいがそのきっかけがつかめず悩んでいるという人が多いのではないだろうか。そこで、本記事では、比較文化学「入門編」となる文献を紹介する。
私自身は、独文学の大学教員として、中央大学のドイツ文学部において「異文化交流演習」という16世紀から20世紀初頭までの日独比較文化ゼミを1年半担当させて頂いた経験があり、今までの7年間、日独比較文化系の論文も数本出してきたキャリアがある。
本記事では、次のような流れで文献を紹介していく。
1)新田義之編『文化の諸相―比較文化を学ぶために―』(大学教育出版,1997)
私の経験では、比較文化を一から学びたい人には、入門書としてこの『文化の諸相』を手に取ることが実は最もお勧めである。この本が出版された1997年という時期は、大学で「国際文化学部」や「国際コミュニケーション学部」などの〈グローバリズム対策機関〉が要請され乱立された頃だった。この本の編纂者であるドイツ文学者・新田義之は、ルドルフ・シュタイナーの翻訳者でありながら、日本における比較文化学の大家でもあった。
『文化の諸相』の構成は以下のようになっている。
- 異文化との出会い
- ①比較文化の視点(新田義之)
- ②日本におけるトルストイ思想の受容(太田健一)
- 「自と他」の構造
- ①こころをめぐる比較文化(武南京子)
- ②コミュニケーションと感情(大橋康宏)
- ③琉球・沖縄・日本(横山學)
- 類型と異型
- ①吸血鬼=ドラキュラ現象に関する文化記号論的ディスクール(関三雄)
- ②民間神話に現われたる障害者たち(赤尾裕久)
- 人類文化の時代的特性
- ①明治の日本と「美術」の出会い(赤尾里香子)
- ②夏目漱石の反近代的な側面(河田碩一)
- ③文化としての科学思想(尾崎誠)
しかも、この本で比較文化学の道案内として読むべきは、新田自身の論稿「比較文学の視点」(約20頁)でまずは十分だろう。他の論稿は具体的な事例研究だからだ。新田は、現代の私たちにも分かり易い言葉で比較文化の背景となる「比較文学」から歴史的に解説する。その際、以下の3点がポイントとなる。
ポイント
①19世紀初頭のドイツ・ロマン派が各国の文学史(ドイツなら「ドイツ文学史」、イギリスなら「イギリス文学史」)を記述しようとした。
②しかし「各国文学史」では、「その国固有の文化から文学作品が生まれた」という偏見から、「外国文学から受けた影響の記述はどうするか」という問題に直面した。
③そのため文学作品を国際的な視野から捉える「外国文学史」記述の動き20世紀初頭から始まった(例:カール・フローレンツ『日本文学史』〔1906〕→もちろん、この成果も、1837年にフランツ・シーボルトがオランダのライデンで展示していた「日本博物館」の、日本文学系の資料から脈々と受け継がれていった結果だと言うべきだろう。その際、ミュージアムの前身「ヴンダーカマー」は日本文化受容の重要な受け皿になっていたことにも注目)。
この「外国文学史」が、「比較文学」の基礎となっていくが、詳細は新田義之の論稿をぜひ読んでほしい。
2)ルイス・フロイス(岡田章雄訳注)『ヨーロッパ文化と日本文化』(岩波文庫, 1991)
比較文化学というと、「オリエンタリズム」や「カルチュラル・スタディー」等の界隈で多くの「古典」が紹介されるが、私の印象としては、どれもが19世紀の「光学的監視体制(Scopic Regime)」や1960年代フランスの「ポスト構造主義」の知識を前提としているように思える。そのため、その予備知識がない人々にとっては、「ディスクール」や「エピステーメー」等の概念が不明なまま、「?」を脳に突き刺したまま、苦しい読書を強いられることとなる。
その点、ポルトガル人イエズス会士ルイス・フロイス(1532-97)が1585年に上梓した『日欧文化比較』(←『ヨーロッパ文化と日本文化』の原題)は、日本人の「男性と女性の風貌」「宗教」「食事と飲酒」「武器」「医学」「建築」「劇」などを西洋のそれらと比較しているので、今日の私たち「日本人」を問い直すに最適である。一例を挙げよう。
「われわれの鼻は高く、あるものは鷲鼻である。彼らのは低く、鼻孔は小さい」(16頁)
「われわれ」は西洋人を指し、「彼ら」は日本人のことだ。フロイスの凝縮された一文は、「対(さかしま)の関係」を如実に表している。もちろん、(ケンペルが『日本誌』(1727)で指摘したように)当時の日本人の全ての鼻が低かったわけではなかった。フロイスの時代から20世紀初頭にいたるまで「典型化された日本人」をイメージとして記述することは、西洋と日本を比較する際に大事なことだったのだ。
このフロイスの『ヨーロッパ文化と日本文化』には、この実例のてんこ盛りである。
おわりに
この記事の読者は、上記の文献を読んでも自分には「比較文化」について十分に知ることができるのか、と訝しく思うかもしれない。もちろん、ここで提示したのはごく一部の文献に過ぎないので、読者の方々には、上記の2冊の文献を手掛かりに、「自分流の比較文化学の文献」を探して頂きたい。
比較文化そのものは、ルイス・フロイスや他の全ての比較文化論者が示している通り、実に素朴でありながら、個別的な好奇心から出発している。この学問に「多声的な共有」はあれども、「正解」は存在しないのだ。
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