はじめに
本記事ではロベルト・ヴィーネ監督の映画『カリガリ博士』(1920)の見どころや演出、また批評家たちがどのようコメントしているかを簡単に紹介していく。以下が目次である。
①作品情報
『カリガリ博士』は、ドイツ表現主義映画の最高傑作といわれている。ドイツ表現主義とは、20世紀初頭における文学・絵画・音楽などの領域を横断した芸術運動のことである。
『カリガリ博士』は、日本でもアマゾン・プライムやU-NEXTで視聴可能だ。以下はその作品情報である。
- (監督)ロベルト・ヴィーネ
- (製作国)ドイツ
- (ジャンル)サスペンス・ホラー
- (長さ)67分
- (主演)コンラート・ファイト、ヴェルナー・クラウス
- (上映形式)白黒のサイレント
②あらすじの紹介と見どころ
ストーリーは、北ドイツの虚構の町「ホルステンヴァル」で起こった謎の殺人事件を、主人公のフランシスが解明していくというものだ。
『カリガリ博士』の原タイトルは、『カリガリ博士の小部屋』(Das Cabinet des Doktor Caligari)となっている。「小部屋」は、表面的には本編に登場する「カリガリ博士」の見世物小屋のことを指しているものの、この「小部屋」が意味することはそれほど単純ではない。
まずこの映画を観る者(以下、観照者)は、異様な違和感を覚えるはずだ。庭園で、二人の男がベンチに座って歓談している場面。この場面を円形に縁取る闇。観照者は、隠れてこの場面を覗き見ているような錯覚に陥る。この演出は映画の中で一貫して用いられているため、観照者には、違和感と不快感、そして密室にいるような閉塞感がずっとつきまとう。
特に最初の庭園の場面は象徴的だ。30代くらいの主人公の男性フランシスが、老年の男性知人に自分の回想を語り始める。そこはありきたりの場面でありながら、「遠景の壁」が効果的な印象を与えている。物語の全編を貫くカリガリ博士の「小部屋」が何かを知るためは、この「遠景」に目を留め、そこから歩いてくる夢遊病者の若い女性を記憶しておく必要がある。
③演出:視覚化された「絶望」
殺人事件が起こった虚構の町「ホルステンヴァル」では、遊園地や見世物小屋で賑わう移動市が開催されていた。その場面一つ一つには、名状しがたい「絶望」が視覚化されている。この町の世界観は、私たちの住む日常の世界観とは異なっている。全ての建物は傾斜しており、不自然に歪曲された道があり、渦巻模様やギザギザの幾何学模様の装飾が地面や壁や階段に施されている。過去-現在-未来という線的な時間軸が破壊され、バラバラに断片化され、「殺人」というただ一点にのみ、物語の時間が収束されているかのように見える。要は、一点透視図法が解体されているのだ。それらの「図」のパッチワークは、グラフィティ(落書き)アートにも見えるが、近代ヨーロッパ人が内面に抱くある「世界」の照射だといえる。
この移動市に登場する見世物小屋の興行師「カリガリ博士」という男は、異様な怪しさを帯びている。黒のシルクハットに黒のフロックコート、そして丸眼鏡の奥に蠢く眼球。この老科学者が操る夢遊病者チェーザレは、博士が主催する見世小屋の「予言者」だった。いわば観客の未来を言い当てるというのがチェーザレの売りというわけだ。スラリとした長身のダンサーのような青白い顔のチェーザレは、全身黒尽くめの服装だが、意志を持たないため、「人間」なのか「ロボット」なのか定義できない中間存在だといえる。
④コメント
フランスの思想家ジル・ドゥルーズは、このチェーザレのような夢遊病者について、ゾンビやゴーレムと並ぶ当時の「機械装置」と呼んだ。ドイツの社会学者ジークフリート・クラカウアーも指摘しているが、第一次世界大戦特有の経験の一つに、兵役義務のもとで、人間が感情もなく「殺し殺される」というものがあった。『カリガリ博士』の原作者の一人ハンス・ヤノヴィッツは、チェーザレの中にそのような「機械化された人間像」を具現化したのだった。
主人公フランシスは警察の協力のもとに犯人を突き止めていくが、彼は最後に恐るべき事実に驚愕する。だが、それは本編の一部に過ぎない。映画の観照者は、さらに恐るべき結末を目の当たりにすることで、最初の方で言及した「遠景の壁」「夢遊病者の女」「覗き見のような円形窓の演出」、そして「カリガリ博士の小部屋」が一体何を意味するのかを沈思黙考することになるだろう。
ドイツのマニエリスム文学者グスタフ・ルネ・ホッケは『文学におけるマニエリスム』で次のようなことを言っている。〈近代〉ヨーロッパ人の精神には〈地下世界〉(独:Unterirdischkeit/羅:mundus subterraneus)が隠されており、そこには「自然のたんなる写像」を嘲笑うかのような、魔術的な「洞窟世界」が繰り広げられている、と。
ロベルト・ヴィーネ監督の『カリガリ博士』では、まさにこの「精神の〈地下世界〉」が描かれていると言っていいだろう。その意味で、ドイツ表現主義映画の原点ならびにホラー映画の黎明ともいえる『カリガリ博士』は、必見の名作である。
(参考文献)
・S・クラカウアー(平井正訳)『カリガリからヒットラーまで』(せりか書房, 1971)
・Gilles Deleuze : Das Bewegungs-Bild. Kino 1. Übersetzt von Ulrich Christians und Ulrike Bokelmann, München (Suhrkamp) 1997.
・グスタフ・ルネ・ホッケ(種村季弘訳)『文学におけるマニエリスム-言語錬金術ならびに秘境的組み合わせ術』(平凡社, 2012)
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